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市議団の実績

一日も早く南港ポートタウンに病院を
(「しんぶん赤旗」2002年12月27日)

  「ポートタウンができて25年、高齢者も増えているので病院を一日も早くつくってほしい」と南港ポートタウンの住民たちが声を上げ続けています。大阪市は25年前(1977年〕に「ベッド数百十床の病院建設」を決定し、用地も確保しながらいまだに総会病院を建設していません。
 大阪市住之江区の南港ポートタウンの街は、1977(昭和52)年に入居が始まり、現在は1万世帯約3万人の人がくらし、昼間人□も10万人をこえています。大阪市は77年の「市医療審議会」でベッド数百十床の病院建設を決定しました。
 しかし、86年の「市医療審議会」の答申で、「現有病床数を超えない範囲で新病院の建設や既存病院の再編整備により対応していく」として、新規の総合病院建設にストップをかけました。また、88年6月に策定された大阪府「保健医療計画」で、大阪府下では新たな病院の新設、増設が認められなくなりました。
 ポートタウン住民の切実な要望で91年2月に夜間応急診療所が開設されましたが、診療時間が短く、夜間、深夜は無医村と言える状態です。
 住民から、「大地震がおきれば孤立し、住民の命が守れない」「大阪市は住民の声にこたえる『行政の責任』を果たせ」などと切実な声があがっています。
 日本共産党のあだち義孝住之江区市政対策委員長(市議候補)は、「現実に、搬送中に死亡するということも目の当たりにしています。救急車の現場から病院までの搬送時間が、市平均は6.7分に対して住之江区消防隊の南港隊では、12.4分と倍近くの時閻がかかり、問に合わない」と話します。國
 日本共産党も参加して地域住民でつくる「南港ポートタウンに総合病院をつくる会」は、11月18日に総合病院の早期建設を求めて大阪市と交渉。その場で大阪市は、「民間病院の誘致も含めで検討している」と回答しましたが、建設のめどが立っていないのが現状です。 日本共産党の姫野浄議員は、11月28日の民生保健委員会で、南港への病院建設を進めるように追及したのをはじめ、日本共産党市議団は、毎年住民からの陳情書や請願書の採択を求め議会で奮闘していますが、自民、公明、民主・民友など与党会派は、採択を拒否し、継続審議との態度をとりつづけ、住民の切実な願いに背を向けつづけています。
 「南港ポートタウンに総合病院をつくる会」の小川俊子さんは、「病院へ行くのに時間をかけて、交通費を払ってポートタウンから出ていかなければならないことに不安を感じています。みんなが安心してくらせる街にするためにも総合病院は絶対に必要です。住んで良かった、ずっと住み続けられる街にするためにがんばります」と語っています。