title


市議団の実績

 貝塚養護学校の廃止案を可決

井上議員が反対討論

井上ひろし市会議員

2008年9月18日

 大阪市議会本会議が18日開かれ、多くの市民や保護者らが存続を要望していた大阪市立貝塚養護学校(貝塚市)を廃止する条例案が日本共産党の反対、自民、公明、民主の賛成で可決しました。

 貝塚養護学校は、1948年の開校以来、病弱・虚弱児、肥満や不登校を伴う心身症に苦しむ生徒・児童に寄宿舎生活で病弱教育すすめてきました。

 反対討論に立った日本共産党の井上浩市議は、「貝塚養護学校の廃止で1280万円の削減としているが、財政難を理由に、教育やそれに準ずる経費を削るのは筋違いだ」と批判。

 反対理由として@不登校の児童・生徒が過去最高となる中で、「いっそう役割が求められている学校」であることA貝塚養護学校機能の光陽養護学校(旭区)へ移管は、両校にとって教育の質の低下につながることB貝塚養護学校の廃止理由に全く根拠がないこと―の三点を強調。「貝塚養護学校の廃止は撤回し、『命の学校』を一層充実・発展させること」を強く訴えました。

(しんぶん赤旗:2008年9月21日付)


「大阪市立学校設置条例の一部を改正する条例案」への反対討論

 

 私は、日本共産党大阪市会議員団を代表して、議案第216号「大阪市立学校設置条例の一部を改正する条例案」に反対する討論を行います。

 貝塚養護学校は、戦前戦後、死因の第一位を占めた結核の療育施設として、その後高度経済成長期に社会問題になった公害病喘息の病弱児学校として、そして“豊かさとは何か”が問われる現代に急増する心身症・肥満の病弱児学校として変遷を遂げてきましたがいずれも全国に先駆けて取り組み、高い専門性とノウハウを蓄積し「命の学校」として貢献してきました。

 貝塚養護学校の50周年記念誌には、こんな言葉があります。『病弱教育は時代の鏡である。いつの時代にも社会のひずみのしわ寄せは弱者に向かっていく。中でも、子どもはリトマス試験紙のようなものである。いち早く病気という形で時代に警鐘を鳴らしてくれるのである。』

 時代に警鐘を鳴らすこどもたちの病気に、いちはやく対応し、時代の“ひずみ”を癒す場として、歴史的要請に応えてきた貝塚養護学校は、大阪市の誇りであり、かけがえのない「財産」です。これまでに、貝塚の存続を求める20万筆を越す署名が寄せられ、マスコミも注目し、何度も取り上げられてきましたが、これは多くの市民が貝塚の役割を認め廃止してはならないという声を挙げているからです。

 教育委員会が大阪市特別支援教育審議会委員に委嘱している、大阪市立大学の湯浅恭正(たかまさ)教授は、「貝塚の廃止は、特別支援教育の幕開けに逆行するものだ」として貝塚の廃止を撤回するよう求めています。

 しかし大阪市は、貝塚の廃止で、1280万円を削減するとしています。財政難を理由に経費削減に熱心ですが、財政難に陥った原因は、教育や弱者救済に経費をかけたからではないはずです。いや、もっとも経費をかけなかった分野の一つと言っても、過言ではありません。にもかかわらず、教育やそれに準ずる経費を削るというのはあまりにも筋違いです。

 1280万円というごくわずかな予算を浮かすために、たくさんのこどもたちの命を救い、心の支えとなってきた「命の学校」を潰す代償ははかりしれないものです。貝塚の専門性とノウハウを積極的に生かしてこそ、新たな時代の教育ニーズに対応できるのであり、貝塚の廃止には全く道理がありません。

 

 以下、貝塚養護学校の廃止に反対する理由を述べます。

 第一に、不登校の児童・生徒が過去最高となる中、貝塚への入学を必要とするこどもたちは客観的にも増えており、「いっそう役割が求められている学校」であるからです。

 私は、12日の文教経済委員会で、保護者からの入校相談を門前払いしたケースを紹介しましたが、教育委員会は何の調査もせずに、裁判で敗訴したケースも含めひとくくりに「そんな対応はしていない」と言い切りました。私が紹介したのは、どうしても納得のいかない保護者たちが、弁護士などを介して教育委員会に再度相談をし、傷つきながらも結果的に貝塚へ入学できたケースであり、当事者への事実確認も容易にでき、疑いの余地は何らありません。教育委員会は、当初「在籍生徒数の減少」を廃止理由の一つに挙げていましたが、自然に「在籍生徒数が減少した」のではなく、意図的に「在籍生徒数を減少させた」ことは明らかであり、そのことは3回の裁判を通じても自明のことです。貝塚への転入学を認めないことで、『償うことのできない損害が生じており、損害は拡大し続けるというべきである』ときっぱり裁判で断罪されたことは、教育委員会の歴史に汚点を残すものであり、貝塚養護学校の廃止を強行することは言語道断です。

 

 第二に、教育委員会は、貝塚養護学校の機能を光陽養護学校へ移そうとしていますが、これは両校にとって教育の質の低下につながり、現実には極めて困難だからです。

 光陽養護学校は、肢体不自由と重い知的障害をあわせもつ重度心身障害児がほとんどであり、栄養摂取を管を通じて行なう経管栄養などの医療的ケアも日常的に行なわれています。これは、貝塚養護学校での病弱児教育とは全く異なるものです。貝塚のこどもたちを見守る多くの関係者は、こどもたちが光陽に適応できるとは考えていません。また、光陽の関係者も、医療的ケアに手を取られる中で、全く違う専門性が求められることに強い不安を感じており、貝塚と光陽、両校の関係者の理解が得られているとは到底言えません。

 貝塚のこどもたちを受け入れるための設備整備の計画も、あまりにいい加減で無責任です。確保する教室は、高等部の校舎にわずか3つであり、こどもたちを学校の狭いスペースに追いやるような、「間借り」と言うしかない極めて粗末な扱いです。「移管にあたっては移管先に同等の教育環境の整備が求められる」としながら、これでどうして“同等”の教育環境と言えるでしょうか。

 また、スクールバス・タクシーなどの交通手段の確保や、盲学校寄宿舎へのスペースの確保など、「こどもたちの心にどう寄り添い、どう支援していくか」という、心身症のこどもたちへの教育課題に照らしても、あまりに見通しが甘く問題点が多すぎます。これで貝塚の果たしている役割を引き継げるはずはなく、機能移管の名で「機能をつぶす」暴挙と言わなければなりません。絶対にやめるべきです。

 

 第三に、貝塚の廃止理由に全く根拠がないからです。

 貝塚は「精神面の自立をはかり、地元校へ戻す役割を果たしている」とデータを示して追及すると、そのデータは古いもので参考にならないと教育委員会は言いましたが、地元へしっかり戻っている傾向に変わりはなく、地元校へ戻っている人数が減っているのは、教育委員会が在籍生徒数そのものを減らしてきたのですから当たり前の話です。

「病院との連携」という点では、2003年の国立千石荘病院の閉院後、入院治療を必要とするこどもの安全確保には適切とは言えませんので、当然そういったこどもは在籍しておりません。いま在籍するこどもたちも、必要な医療との連携を十分にとっていますがむしろ、様々な困難さを抱えるこどもたちに必要なものは病気への治療と共に、24時間の生活全体を通じての心身の立て直しへの援助であり、貝塚は自然環境に恵まれた24時間の生活の保障の中で豊かな役割を担ってきたのです。

 なお関連して一点付け加えておきますと、市長が最初に貝塚を視察された2月21日、裁判を通じて転入学した児童について、喘息の発作を起こして自宅へ帰っていると、説明を受けたとのことでしたが、当日この児童はしっかり学校に出席しており、元気にソフトボールにも参加しています。またこの児童は、貝塚の生活で、心身の立て直しがはかられてきており、地元校にいた時とは比べものにならないほど元気になっています。虚偽の情報を、市長に伝えるというやり方も、厳しく糾弾しなければなりません。

 私は事実に基づいて、貝塚の廃止理由に反論しましたが、教育委員会が一つひとつ事実を論証することなく貝塚の役割を否定することは、貝塚を必要とするこどもたちから「教育を受ける権利」を奪う重大な教育行政の逆行です。

 

 以上3つの点で、貝塚養護学校の廃止に反対する理由を述べました。貝塚養護学校の廃止は撤回し、「命の学校」を一層充実・発展させることを強く訴えます。また、陳情書も提出された、大阪市立聾学校についても、聾文化を尊重し、聾教育の専門性を重視すると共に、聾学校の名称を残してほしいとの関係者の要望を従前から知っていたにも関わらず当該の障害者団体、聾学校PTA、同窓会、教職員などと全く話をすることなく、一方的に変更することは許されないことだということを申し上げて、反対討論とします。